警察官等のバッジ・コレクションをしており、大変な収集家であった。関係者以外が警察バッジを持つことは許されていない。つまりエルヴィスは警察やその他の機関の資格を取得していた。麻薬の不法所持者を逮捕するために飛行機を止めたり、エルヴィスのバッグを盗んだ男を逮捕したりしている。
1970年12月21日にはわざわざワシントンD.C.にジェリー・シリングと2人で出向き、シークレット・サービスに手紙を手渡した。一市民であるエルヴィスから大統領にあてた手紙である。その40分後、補佐官から「大統領が合いたい」と電話があった。ホテルに到着したソニー・ウェストが合流し3人でホワイトハウスへ行き、リチャード・ニクソン大統領に会った。右のツーショット写真はその際撮影されたものである。この時、エルヴィスは「ロックが麻薬使用に影響しているとは思わないが、責任は感じている」といい、麻薬取締官の資格を与えられた。翌週、エルヴィスはそのバッジをみんなに見せびらかせて回った。
酒も煙草もやらない。たまに葉巻を吸う程度である。「オン・ステージ」で観客から酒を渡された時も、口を付けるだけでほとんど飲んでいない。ステージ上で飲んでいるものは水かゲータレードである。
コーヒーや炭酸飲料、ピーナッツバターとバナナのサンドイッチが大好きで、毎日の様に食していた。ただし、このサンドイッチはさらに多量のバターをひいたフライパンで焼いた物であり、当然ながら高カロリーな食べ物で、エルヴィスが三十代以降体調を崩して行く一因になったのではないかという指摘もある。
1970年代のエルヴィスは真っ白なジャンプスーツが思い出されるが、それ以外にも紺や青、水色、赤などのジャンプスーツも着ている。
1970年初期のジャンプスーツは動きやすさを念頭に置いたシンプルな衣装であった。それがどんどん派手になっていき、ケープまで登場した。金やダイヤモンドやルビーなどを施したジャンプスーツは25kg以上にもなっていた。
エルヴィスは友達だと思った人間には尽くすタイプだった。反対に「エルヴィスのお金や贈り物を求めて近付いてくる人間には、その姿勢に気付き距離を置いていたようである」とバンド・メンバーは回想している。
ステージでの華やかさからは気付きにくいが、エルヴィスはシャイでテレ屋な性格であった[要出典]。レコード会社の門を叩けずに、入り口付近でウロウロ、ソワソワしていたこともあったようだ。「初舞台の時には死ぬほど緊張した。観客の声が怖かったんだ。」との言葉も残っている。
エルヴィスはまるで日課のように多方面、数え切れないほどの多くの団体に寄付した。殆どが非公式や匿名で行われたものだった為、はっきりと把握出来ていない。ホノルルのパール・ハーバーにあるアリゾナ記念館はエルヴィスが1961年に行ったチャリティ・ショーによって建てられたものである。エルヴィスによると「1日100万ドル使い続けても使い切れない」そうだ。友人には車や宝石を頻繁にプレゼントした。
エルヴィスはジェームズ・ディーンの大ファンである。ディーンの代表作理由なき反抗の台詞を全て覚え、周りを驚かしたこともある。彼が俳優を目指した一因でもある。ちなみにエルヴィスの代表作闇に響く声は、ディーンのために書かれた作品であった。評論家たちはこの作品を、エルヴィスの映画の中で最良の演技をしたと言った。
メンバー
70年代のエルヴィスのバックバンドを勤めたベースのジェリー・シェフはエルヴィスから要請が来た時、最初は断るつもりで対面した。ジェリーはブルース以外の音楽には興味がなかったからだ。その場のセッションでエルヴィスがブルースをいじり始め、ジェリーはその歌い方に感銘を受け、バンドに参加する決心をしたという。しかし、ジェリーが本当に心を魅せられたのはエルヴィスの温かい人柄であったという。雑用スタッフも決して邪険にせず、この曲は嫌いなどということも無かったという。
エルヴィスはジェリー・シェフにブルースのソロを振った際、ジェリーはブルース以外の曲も演ろうと思い(公演で何度もブルースは弾いてきたので)アドリブでケイジャンを弾いた。それ以降、メンバー紹介の際には「フェンダーベースのジェリー・シェフです。今夜は何を演ってくれるのでしょう?」とMCするようになった。
ピアノのグレン・ハーデンはエルヴィスがリハーサルしていない曲をソロで振ってくることがあったため、それ以来、エルヴィスにソロを要求されると思われる曲を練習していたという。
エルヴィス復帰後のショーでリズムギターを勤めていたジョン・ウィルキンソンは元々は歌手であった。エルヴィスは休憩時間などにジョンに歌ってもらい、リラックスしていたようである。1990年代に左半身不随になり、2度とギターは弾けなくなってしまった。
エルヴィスの友人で警備担当であるケネディ警部補が同じく警官であった弟を亡くした時、エルヴィスは葬儀の資金を全額負担し、バックコーラスであったJ.D.サムナー&スタンプス・カルテットにゴスペルを歌わせた。葬儀の際に野次馬で式が邪魔されるのを避けるため、エルヴィスは警官の制服を着用し、他の参列した警官と共に式に出席した。
スコティ・ムーアは「エルヴィスの葬儀は見世物ショーになるだろう」と感じ、式に出席しなかった。
1970年代、エルヴィスがツアーをはじめた時、ツアー先の白人プロモーターから「黒人娘(「ザ・スウィート・インスピレーションズ」のことを言った。実際にはもっとひどい差別的な言い方をされた)は連れてこないでくれ」と連絡を受けたことが度々あった。エルヴィスは「彼女たちを来させないなら僕も行かない」と言い張り、向こうが謝罪し、多額のお金を積んだが、絶対に行かなかった。
ライヴ中、ある観客が「あなたはキングよ!」と叫んだことがあった。そのときエルヴィスは「いや、キングはイエス・キリストだ」と答えた。
「古今東西、ファースト・ネームだけで世界中で通じる男は2人しかいない。イエスとエルヴィス」という有名な言葉がある。
日本の小泉純一郎元首相が大ファンであり、エルヴィスと誕生日が同じである。ブッシュ大統領と共にグレイスランドを訪ねた。このとき遺族から借りたサングラスを元首相ははめておどけて見せた。
現在グレイスランドには元自家用機のコンベア880「リサ・マリー」が展示されているが、世界でも数機しかないコンベア880の現存機の内の1つでもある。
メンフィスのグレイスランドの前の通りはエルヴィス・プレスリー・ブールバード(大通り)という。
世界中のエルヴィスのファン、ファンクラブからの募金のみで運営している病院がある。その病院はメンフィスにあるセイント・パウロ・エルヴィス・プレスリー記念病院である。
エルヴィス・プレスリー・エンタープライズは映画やテレビでエルヴィスが間違った認識で扱われること、ある一面だけを大きく取り上げられることにピリピリきている。そのため、エルヴィスを好意的に捉える映画やテレビには積極的に協力し、使用料も比較的安くしてもらえる。
1965年8月27日に、ロサンゼルスのエルヴィスの邸宅でエルヴィスとビートルズは一度きりの会見を果たす。ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインとエルヴィスのアシスタントであるパーカー大佐の間での極秘の打ち合わせという名目だったが、案の定自宅周辺には野次馬が集まった。対面の場では、登場したエルヴィスの姿に見惚れしたメンバーに対し、即興演奏が始まった。エルヴィスは習いたてのベースを演奏し、ジョンとジョージはギター、ポールはピアノを演奏した。リンゴはドラムキットが無かったため演奏してはいない。エルヴィスは彼らの曲も歌い、「君たちのレコードは全部持ってるよ」と言った。これに対してジョン・レノンは「僕はあなたのレコードは1枚も持ってない」と発言したことからその場が凍りついた。そしてその会見に実際に立ち会ったという、記者クリス・ハッチンスによれば、ジョンはエルヴィスのベトナム戦争に賛同する姿勢と、エルヴィスのマンネリ気味であった映画を痛烈に批判したということらしい。エルヴィスがジョンを嫌うようになったのはこれらの事がきっかけであった(ジョンは以前もアメリカに公演に来た際、エルヴィスを馬鹿にするような行動をとった)。エルヴィスはジョンがアメリカに住むようになり、「反戦活動」という名目で反米活動を盛んに行った頃、大統領にジョンを追放してほしいと手紙を出したとも言われている。そしてなにより惜しい事は、当時音楽界に於いて最も注目すべきこの会見を録音したテープが存在しないことである。
モハメド・アリと交流があり、彼に金色のマントを送ったが、それを初めて着用して登場した試合で敗れたので、以後2度と着用することはなかったが、アリはそれを大事にした。アリは金色のマントをもらったので、お返しにエルヴィスに金色のアリのサイン入りグローヴを送った。エルヴィスもこれを大事にした。部屋に篭りがちだったエルヴィスに、アリが「外に出てファンと交流した方がいい」とアドバイスした所、エルヴィスは「もみくちゃにされるから外に出られない」と答えたという。ファンサービスが大好きだったアリは後年「エルヴィスは解ってなかった。ファンは誰もエルヴィスに危害を加える気は無かったんだ」と語っていた。だが実際はメンフィス・マフィアがエルヴィスとファンの間に壁を作り、エルヴィスをホテルの最上階に閉じ込めて、窓ガラスに銀紙を貼り、隔離していた。エルヴィスが死に、自身も引退した後、アリは親友のカメラマンに「俺が通りを歩いてて、向こうの通りをエルヴィスが歩いてたら、人はどっちに注目すると思う」と訊ね、カメラマンが「難しいな。外国じゃあんただが、国内(アメリカ)じゃエルヴィスじゃないかな」と答えた。するとアリは「そうだろうな。エルヴィスは大分前に死んだから、人は彼が本物かどうか確かめようとするだろうな」と語ったという。
F1チームのB・A・Rの元オーナーのクレイグ・ポロックがかなり古いハーレー・ダビッドソンを約60万円で購入したところ、すぐ故障したので修理に出しシートを開けたらシートの裏に“親愛なるジェームズ・ディーンへ、エルビス・プレスリー”と書かれており、プレスリーからジェームズ・ディーンへプレゼントされたものとわかった為オークションに出展したところ、およそ1億2千万円の値がついた。
記録 [編集]
エルヴィスの記録には限りがないが、代表的なものや、興味深いものを挙げる。
〈ギネス・ワールド・レコーズ編〉
世界で最も成功したソロ・アーティスト
・レコード全売り上げ約30億枚(推定)(公式記録ではない)
・全米No.1シングル18曲(歴代2位)/全英18曲(歴代1位)
・最多ゴールド、プラチナ、マルチ・プラチナレコード獲得数:140タイトル
・全米No.1アルバム9作/全英6作
・全米チャート入りレコード149作/全英98作
・シングル発売133枚
・最も長時間No.1にエントリーしたアーティスト(80週)
・最も長期に渡ってNo.1アルバムをチャートに送り込んだアーティスト(1956?2002年)
初のNo.1アルバム「エルヴィス・プレスリー登場!(1956)」から「ELVIS(2002年)」まで。
最多ヒットシングル記録(151曲)
・ビルボードtop100へのエントリー回数151回は最多。
1日で最もレコードを売ったアーティスト(エルヴィス・プレスリー/死の翌日、1977年8月17日)
・2000万枚以上の売り上げ。彼の死の衝撃が物語れる。
最多放送記録(エルヴィス・プレスリーとザ・ビートルズ)
・アメリカのラジオ放送で最も流された曲として、エルヴィス・プレスリーの「ふられた気持ち」とザ・ビートルズの「イエスタディ」が約700万回以上で両者トップ。
世界に最もファンクラブが多いアーティスト (エルヴィス・プレスリー)
・世界で(死後にもかかわらず)480のファンクラブが現在活動中である。
世界で最も真似されているアーティスト(エルヴィス・プレスリー/物真似)
・世界に4万8千人いると考えられており、それを専業としている人もいる。
世界で最も訪問される墓(グレイスランド)
・エルヴィスの墓であるグレイスランドは、年間約70万人が訪れる墓。死後18年にあたる1995年には歴代最高の753,965人が訪れた。アメリカの国定史跡。
〈統計、評論家などによる投票〉
ロックの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米1986年)
1986年、アメリカで始まったロックの殿堂は、ロック史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。エルヴィスは第1回目で選ばれた。
音楽の殿堂(エルヴィス・プレスリー/英2004年)
2004年、イギリスで始まったUKミュージック・ホール・オブ・フェイム(音楽の殿堂)は、音楽史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。エルヴィスは第1回目で選ばれた。2007年、この殿堂は資金不足のため廃止された。
カントリーの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米1998年)
1998年、カントリー・ミュージック教会によりカントリーの殿堂入りを果たした。伝統的な同教会が認めたことは、エルヴィスの音楽の真価を証明するものだった。9月23日、テネシー州、ナッシュビルのグランド・オール・オープリー・ハウスで授賞式が行なわれた。
ゴスペルの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米2001年)
2001年、ゴスペル・ミュージック教会によりゴスペルの殿堂入りを果たした。11月27日に、テネシー州、フランクリンのピープルズ・チャーチで授賞式が行われた。ちなみに3つ(ロック、カントリー、ゴスペル)殿堂入りを果たしたのは歴史上エルヴィスただ1人である。
世界の音楽を最も変えた曲(エルヴィス・プレスリー/That's All Right)
英国の雑誌『Q』によって発表。 音楽のジャーナリストたちの投票により決定。エルヴィスの音楽の始まりであり、ロックの原点とも言われる曲「ザッツ・オール・ライト」が、「音楽と世界を永遠に変えた革新的な100曲」の第1位に選ばれた。2位はビートルズの「I Wanna Hold Your Hand」。
死後、最も売り上げが多いアーティスト (エルヴィス・プレスリー)
経済誌「Forbes」により毎年(10月下旬)発表。 死んだ著名人の1年度の売り上げを順位付けしたものである。2001年から発表が始まり、エルヴィスは2005年まで5年連続No.1に輝いた。2006年はカート・コバーンの著作権が売却されたことにより2位になったが、翌2007年には4900万ドル(約56億円)で再び首位を奪回し、2008年度も5200万ドル(約51億円)で1位になった。毎年大体50億?60億あたりの売り上げを誇っている。
イギリスで最もヒットしたアーティスト(エルヴィス・プレスリー)
「The Book Of British Hit Singles & Albums」が発表。エルヴィスが「英国で1番売れたアーティスト・トップ100リスト」の第1位になった。1952年からのチャート・イン週間数の総計を基準としたものである。毎年発表される。上位にはクイーンやクリフ・リチャードらがいる。
?雑誌や一般による投票?
ロック史上最高の服装(エルヴィス・プレスリー/白いジャンプ・スーツ)
約1万2千人の音楽ファンによって投票。 「最高のロック・アウトフィットtop10」での投票で、エルヴィスの「白いジャンプ・スーツ」がロック史上最高の服装として歴代第1位に選ばれた。2位は、カイリー・ミノーグの「ゴールドのホット・パンツ」。
最もサインに価値があるロック・ミュージシャン(エルヴィス・プレスリー)
カリフォルニア州のサイン専門誌「Autograph Magazine」により発表。最もサインに価値のあるロック・ミュージシャン第1位にエルヴィスが選ばれた。2位はビートルズのポール・マッカートニー。
最もとんでもない買い物をしたロックスター(エルヴィス・プレスリー/38万円のピーナッツ・サンド)
雑誌「BLENDER」により発表。「歴代ロックスターのとんでもない買い物のtop50」によると、エルヴィス・プレスリーが1976年にテネシー州メンフィスからコロラド州デンバーまで自家用ジェットで買いに行った巨大な「ピーナッツ・バター・サンド」(約38万6000円)が第1位に選ばれた。
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